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69件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1955-06-17 第22回国会 衆議院 内閣委員会 第24号

それが一九五〇年の一月コミンフオルムから批判されたのであります。平和革命ということはあり得ないという批判を受けた。当時いろいろな抵抗的な言論をやったようでありますけれども、結局このコミンフオルム批判にこたえまして、そうして暴力主義に移ったのであります。それが御承知のいわゆる火炎びん騒ぎ等である。

大坪保雄

1955-04-27 第22回国会 参議院 本会議 第10号

その間コミンテルンがあるいはコミンフオルムに名称が変ったとかというようなことはございました。しかしながら国際共産党なるものが依然として存在を続けているということは、これは争うべからざる事実でありまするし、またモスコーが国際共産党と手を切ったというようなことは一度も聞いてはおりません。そういうような保証は何人からも与えられていないのであります。

佐藤尚武

1955-04-27 第22回国会 参議院 本会議 第10号

(笑声)あなたの何という本でしたか、お書きになっているものも読みまして、コミンフオルム世界革命国際共産党は解散をしても、やはりその憂いはまだあるということはまさに承知をしております。それがゆえに国交を調整することによって、日本共産党が激励されるようなことがあって、それが暴力革命にまで発展しては大へんだと思いまして、十分注意を行なっているつもりであります。

鳩山一郎

1954-02-17 第19回国会 衆議院 法務委員会 第7号

○高橋(一)政府委員 左右両極ありますから、その意味において左も調べれば右も調べろというような感じがいたしますけれども、しかし昭和二十五年のコミンフオルム以来――その前からいろいろ例の生産者管理戦術などもありますけれども、特にこのコミンフォルム以来しきりに軍事活動を扇動しまして、かくして一昨年のメーデー騒擾事件を頂点とするあれだけの一つ騒擾事態を現出した団体と、それ以外の団体とを同格に、こちらも調

高橋一郎

1954-02-16 第19回国会 衆議院 法務委員会 第6号

このころにいわゆるコミンフオルム批判がありまして、共産党暴力革命方式を明示いたしまして、非合法態勢をとつたのでありますが、そのころに分派問題と実際の脱党と、それから擬装脱党も多分にあつたと思いますが、かなり届出党員数減つて、一昨年七月の四万八千名ということになつているわけであります。

高橋一郎

1953-11-20 第17回国会 参議院 法務委員会 閉会後第2号

それから新綱領昭和二十五年一月の例のコミンフオルム批判のあとを受けまして、このような政府、つまり民族解放民主国民政府というものが妨害なしに、平和的な方法で自然に生まれると考えることは重大な誤りであるということをはつきり申しまして、暴力革命以外に目的を達することはできないということを規定しております。  

高橋一郎

1953-02-07 第15回国会 衆議院 予算委員会 第18号

世界の平和に対する脅威の最大のものが、コミンフオルム侵略政策であるということは、あるいは賛成しない人があるかもしらないが、多くの人が認めているところであると私は信じます。しかし同時にさきに申し上げましたようなアジアの貧困、アジアの経済的な不平等、またさらに政治的な植民地支配の存続ということを決して見のがしてはならないのであります。

松岡駒吉

1953-02-06 第15回国会 参議院 厚生委員会 第16号

従つて今日の中共の引揚は我々としてはもう双手を挙げて歓迎をしまして、一日も早く温い心の故郷に抱かれることを努力いたすのでありますが、一部ではいろいろ中共の、いわゆるコミンフオルムといいますか、そういうものの一つの動きとして、共産主義の而も精鋭な分子を日本解放のために帰らせるのだというようなことが一部に伝えられている。

山下義信

1952-12-12 第15回国会 衆議院 予算委員会 第13号

○河野(密)委員 私も同じような見解に立つのでありますが、しかし私はここで吉田総理大臣にお尋ねいたしたいのは、共産主義あるいはコミンフオルムを中心とする世界政策というものに対して、どういう認識を持たれるかという点であります。私の考えるところによりますと、ソ連の外交、あるいはコミンフォルム世界政策というのには、一つの哲学が流れておると思うのであります。

河野密

1952-11-27 第15回国会 参議院 本会議 第6号

新聞を見ると、あの北京平和会議というものは、これはコミンフオルム系のあの世界平和評議会の主催したものだからというようなことも書いてあつた。だけれども、併しそれは一体どういうところに事案的の根拠があるか、証拠を承わりたい。ただ推察だけじやなく証拠を承わりたい。それからもう一つ新聞にはこういうことも書いてあつたのであります。

大山郁夫

1952-07-02 第13回国会 参議院 本会議 第60号

先ほど中山議員は、受入態勢ができておる場合という話でございましたけれども、或いはこれはコミンフオルム批判後、国内において武力的な行動があるならば、或いは解放軍が来るかも知れんという点を指摘されたのかも知れませんが、もつとその辺を一つ具体的に御説明願いたいと思うのでありますが、来るかも知らん、来ないかも知らん、これは未必の故意にかかつてこれを適用するかどうかということになると思いますけれども、私どもが

吉田法晴

1952-06-30 第13回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第30号

第三に、日米関係におきまして、日本アメリカ植民地になつたの、あるいは隷属だの、どうのこうのということを言われますが、山口君の議論がはたしてそういう議論であるとするならば、全学連日共の手先となつてコミンフオルム暴力革命の一端をになつて、その指令従つて日本を撹乱しつつある事実は、山口君は何と判断するか、その点に対する山口君の態度というものは私は奇怪にたえない。この事実を何と思う。

福田喜東

1952-06-19 第13回国会 参議院 法務委員会 第60号

この点については或いは監獄から解放して、そしてこれに対して激励までされたのでありますけれども、それの点は遠い昔の話として、この帰還された野坂氏は平和革命方式を、愛せられる共産党主義を闡明せられたが、その後その民主主義的な態度を、平和革命方式をなぜ捨てたか、これは一に或いはコミンフオルム批判もあつたかも知れんと思うのであります。

吉田法晴

1952-06-04 第13回国会 衆議院 外務委員会 第29号

しかしながら各種の発言等から見まして、あるいはいわゆるコミンフオルムの極東における活動等にかんがみまして、また最近ときどき聞える自由放送とか称するもの、これははつきりわかりませんが、電波の関係から見ますと、ウラジオ方面から来ておるようでありますが、これらの放送北京からの放送と同様に、種々日本国内の憲法上の制度を破壊することを支援するがごとき言動をいたしております。

岡崎勝男

1952-05-26 第13回国会 参議院 法務委員会 第45号

コミンフオルム指導によるところの日共中央委員会軍事委員会等最高司令部から幾段階かに分れた統率ある組織によつて中核自衛隊とか、或いは抵抗闘争パルチザンなど戰略戰術があたかも軍隊組織体制を整備されて、すでに破壊活動に着手し、暴力革命の推進に寧日なく、昨年二月の第四回全協、十月の五全協、これらによつて軍事方針が確立され、公共機関、公務員を対象として各所に武器の奪取、或いは権力反抗等々が行われております

鈴木多人